1.イタリア方面司令官、の筈が。  革命暦4年風月(ヴァントーズ、グレゴリオ暦1796年3月)、イタリア戦線に向かった俺の荷物に見覚えのない本が混ざっていた。「Nの戦記」って、何だこりゃ?今は忙しいので後で目を通すことにする。  噂には聞いていたがまさに「乞食部隊」だった。半分以上の奴が銃はもちろん靴すら履いていない。全員飢え死にしそうな顔をしていたので思い切って火を点けてみることにした。 「諸君を世界一の沃野へ導こう!」 (ポカーン)←あれ? 「もっと分かりやすく言わないと。俺は大賛成ですけど、ぐへへ」 こいつは「マッセナ」だったっけ。私掠船や密輸団にいたりでで「盗癖あり注意」とマル秘の将軍一覧に書かれていた奴だ。でも、言っていることは正しい。 「あー、イタリアいいとこ一度はおいで、酒は美味いしネーチャンは綺麗だ!!」 (うおおおおおおー!!!)←ただの乞食が飢えた狼に変身した。  部隊が分散しすぎていたので思い切って腕っ節の強そうな奴等に集中させる。さっきのマッセナに、「一覧」で決闘バカと書かれていたオージュロー、砲兵は俺、そして士官学校以来の付き合いで信頼できるマルモン、騎兵はヴァンデミエール(グレゴリオ暦1795年10月)のクーデタで活躍してくれたミュラ、と親父の代からの筋金入りの軍人のケレルマンに… 「あああぁあ、私が徹夜で考えた部隊編成が…」 横で泣きそうな顔をしているのはベルティエ。珍しく「一覧」では褒められていた。補給・索敵に長けた能吏らしい。しかし融通は効かなさそうだ。悪いな。  再編やら訓練に1ヶ月を要したが、間をおかずオーストリアが居座るロンバルディアに雪崩れ込んだ。わははは、仰天してやがる。そりゃそうだ、普通の司令官殿は3ヶ月単位でご緩りと移動され遊ばれるからなぁ。しかしこちらは乞食軍とその親玉。お前らから奪わないと飢えて死ぬし、その前に俺まで食われかねないから必死なのだ。  マルモンと打ち合わせたとおり川向うから代わる代わる大砲をぶっ放す。橋には決闘バカオージュローを配置して渡ってきた連中は撫で斬りにさせた。 「卑怯者!きちんと戦え!!」  オーストリア野郎の断末魔がそういう感じに聞こえる。乞食に卑怯もクソもない。  ヴェネチアが総督マニン御自ら援軍に来たが、山上に配置していたマッセナ隊に文字通り身ぐるみ剥がされて瞬時の内に壊滅。敵ながら気の毒に。  そうこうしていたら敵・主軍のヴュルムザーとアルヴィンツィの軍団が、いい具合に挽肉と化してきたので総攻撃を命じる。もちろん砲火は緩めない。砲弾を逃れて窮鼠と化した敵軍がオージュロー隊に突っ込み、大混乱となるが放っておく。…あ゛、やばいマッセナ隊に当ててしまった…おいおい、退却しちまったよ。怒っているのかな。…いやいや、さっきのヴェネチアからの分捕品を勝手に処分する口実を与えてしまったようだ。まぁいいか。  大砲以外は装備も人数も劣勢な革命軍がオーストリア&ヴェネチア連合軍を撃破したのは大ニュースになった。こちらも分捕品と強制徴募で潤って、いい気分でイタリアワインを飲んでいたら例の本、「Nの戦記」を思い出した。…えぇと、何?コルシカ出身の将校がイタリアで破格の出世の糸口を掴む?Nって俺の名前のナポレオンのことか?ヴァンデミエールじゃ反政府市民に散弾をぶっ放したから流血将軍とか大砲馬鹿とかいろいろ陰口を叩かれたのは知っているが、隠れファンもいてこんな冊子を書いたということだろうか。これを読むと俺はナポリ以外のイタリアをぜんぶ手に入れるらしい。そんなに上手くいくか?もちろん奪い足りないからすぐにでも侵攻を再開する予定だが。  …バラス(総裁政府)のバカ野郎!なんでオーストリアと講和なんかしやがったんだ!!次のお宝目当てでパンパンに膨らんでいる部下たちの「殺る気」が俺に向かうじゃねぇか!!クソッ、やはり仮想戦記なんてデタラメもいいところだ。こういう予期せぬ邪魔が入るのが戦場というものだがそういうことは全然書いていないし。あと、俺がエジプトに行くなんてこの著者も相当のバカじゃなかろうか。  マッセナ「どーするんスかぁ、あン?あれじゃぁ全然足りねぇよぉ」  オージュロー「ああぁぁああ、もっと殺してぇー」  いよいよヤバいと思っていたら、オーストリアとの講和を知らないヴェネチアが中止になった(と思われる)連携作戦を律儀に遂行しにきた。かつての「海の女王」も哀れなもんだ、が…  「いよぅ!女王様がわざわざレイプされにやってきたぞ!」  俺にとっては女王どころか女神御自らが夜這いされに来たような僥倖だった。それを寄ってたかってヤッちゃうのだから乞食軍は始末におえない。輜重はぜんぶ巻き上げられて兵隊は殆どブチ殺されたヴェネチア軍の僅かな生き残りが退却していく。追撃しようとしたらまたもバカ総裁政府が勝手に講和。俺を殺す気か。  イタリアに釘付けにされたので地道に軍隊の再々編を行うとともに有能な将軍クラスのリクエストをすることにした。バラスの野郎は賄賂がないと動かないので思い切って目をひん剥くようなイタリア・ルネサンスの至宝を送りつけることにした。地元民の中には怒り狂って反乱を起こす奴がいたが、ちょうどいい不満のはけ口とばかりに乞食軍の餌にする。我ながら酷い奴だなぁ。  ネイ、という奴が来た。一目見たら忘れられない赤毛と長身。いきなり、  「君たちぃ(主にマッセナ)、そんな泥棒みたいなことしちゃダメじゃないかぁ(棒)」  おいおいおいおい、着任早々八つ裂きにされるぞとハラハラしていたら不思議なことにマッセナもオージュローも大人しく引き下がった。何か動物的カンで「こいつは手強い」と思ったらしい。たしかに目が妙に座っている。この不気味さは利用できそうだ。  続けてきたのはランヌという小柄な男。何故か俺にもの凄く懐いてきた。チビの同士愛みたいなものだろうか。ノッポのミュラに身長をからかわれたら発狂してあわや殺し合いになるところだった。こいつもネイとは別の意味で相当に変な奴だが上手く扱えばかなり役に立ちそうだ。俺やマルモンに大砲の使い方を熱心に聞いてくる。忠犬と狂犬のハーフみたいなもんだろうか。  ここで、バラスに賄賂の変化球を投げてみることにした。  「もうイタリアには収穫物がありません。…小官、バイエルンあたりが豊かと伺っておりますが。」  乞食軍以上に欲ボケなバカ野郎が簡単に引っ掛かったので、あっさり作戦計画が通った。ロンバルディア(イタリア北西部)を駆けずり回った乞食たちの脚は速い。ヴィッテルスバッハ王家が気づいた時にはミュンヘン到着。ドイツ最古を誇る王国の軍隊は装備もお古で俺とマルモンの十字砲火であっさり壊滅。他の兵たちは略奪に専念していたが、  ネイ「うーん、もう十分に苦しんだから天国に送ってあげようよぉ、ほらこう(グチャ」  ランヌ「次は教則✕番に従い全員で敵兵の肋間部を刺突せよ!ノロマは一緒に刺し殺す!」  …う〜ん、やっぱり変だこいつら。頼りになることは分かったが。  「お気の毒ながら貴国は本日を以て滅亡されました。長き歴史への尊敬の印として亡命先のご選択の自由を差し上げます」  「んがぐっぐ」  お隣のミュンヘンを占領され、喉元に匕首ならぬ乞食を付きつけられたオーストリアが慌てて宣戦布告してきた。バラスの野郎は慌てているだろうが、これを待っていた。ウィーンで待ち構えていた敵軍は数はこちらの1倍半、皇帝フランツ御自身と猛将カール大公が率いていたが「乞食軍」の凄まじい悪名(殆ど事実)にビビりまくりの将兵の動きは鈍く、大砲のいい的になるだけだった。籠城しようにも軍勢の殆どを失ってしまった皇帝ご一行はアッサリ伝統ある首都を捨てた。かつて全盛期のオスマントルコの二度の包囲をはね返した街を俺は陥としたのだ。  略奪品の余りだけでも大喜びの総裁政府が最高司令官の辞令をよこしてきた。当然だ。例の本の「N」はウィーンを陥さず接近して脅しただけだったが俺はそんなまどろっこしいことはしない。本によればこの数カ月後に、独断で始めたエジプト侵攻に失敗してから単身フランスに舞い戻って政府を倒すとあるがそんなバカな話があるか。俺がバラスだったら戦線離脱を2度くりかえすような奴は軍法会議にかけて銃殺にしている。  俺と入れ替わりにイタリア方面司令官になっていたドゼーという将軍が、オーストリアの脅威がなくなったとみるやフィレンツェに突入しわずか10日間の戦闘でトスカナ大公国を滅亡させた。ドゼーは良家の出身で長身の二枚目、軍中でもオシャレな私服で通し部下だろうが敵だろうが分けへだけなく親切に接する「良い男」との評判ときく。なんか何もかも俺とは正反対だがいずれそういう人間も手元に置ける身分になりたい。