書評:天野忠幸「三好一族 -戦国最初の『天下人』」
初の天下人(畿内の覇者)を輩出した知られざる戦国大名、三好氏にスポットを当てた力作。こういう本が新書で拝めるというのだから有難い。
三好氏というと、松永久秀による乗っ取りだとか、将軍弑逆とか、信長の当て馬といったマイナスイメージがあり、これといった影響を残していないように思っていたが、時間と虚構のベールを剥いで、一次史料から浮かび上がらされた「実像」は全く違っていた。
・室町将軍(足利氏)の権威を当てにせぬ統治、朝廷政策
・経済的重要地への代官の配置
・既存の名家に頼らず、一族・直属の家臣への分国
全盛期の当主、三好長慶の政策をごく大雑把にまとめると上の3点に帰着する。
これってどこかで見たことがあるよな、と記憶を辿ってみると、信長がやりかけ、秀吉が(一応)完成させた統治のスタイルである。何と先進的なことか。残念なことに長慶は嫡子の義興とともに全盛期の現出から5年も経たないうちに病死してしまう(かつては松永久秀による毒殺を噂されていたが、彼にそのような暴挙をして得られるメリットはなく、空説であることが指摘されている)。惜しいかな跡を継いだ一族(甥)の三好義継はまだ若く、家中の分裂を制御できていない最悪なタイミングで「将軍」足利義昭を押し立てた信長に乱入され、果敢に抵抗を試みるも、「天下」は横取りされてしまう---
(自分を含め)多くの者が「もし、本能寺の変がなかったら」を夢想するが、本書を読んだ後だと「もし、長慶が長命していたら」に夢想の先は切り替わる。圧倒的な先進性と経済力を前に、信長すらも一地方大名に終わってしまったのではないだろうか。そうするともちろん秀吉・家康の出る幕はなくなるわけであるが、近世日本はどんなものになっていたのだろうか?
意外なことに、著者の答えは明快だ。
「貿易を求め、明朝中国に戦を仕掛ける」
間接的な形とはいえ三好氏の後継者となった秀吉が朝鮮に攻め込んでいったのは誇大妄想でも老人ボケでもなく、当時の東アジアの情勢をみれば当然の帰結ということになる。著者はそこで、貿易を要求して北京を包囲したアルタン・ハーンの例を挙げるが、正直言ってそこまで考えたことはなかった。まさに頭を引っ叩かれた気分である。
1976年生まれと若い著者がマル経史観から自由なのはまぁ当然なことなのだろうが、「唐入り=暴挙」とみなす戦後民主主義的史観(自虐とするかどうかはここでは置いておく)からも自由であることには驚きとともに、自分(1960年代生まれ)の老耄を感じざるを得なかった。
あと、本書では挿話的な扱いに限定されているが、関ヶ原の西の主力は毛利、と当然のように書いている点も見逃せない。実はこの毛利、反「三好」主義=室町将軍の庇護者として天下のヘゲモニーを握るチャンスがあったのだが、目先の利益に囚われてそれをみすみす逃している。まだ「両川」が健在な頃の話であり、とすると関ヶ原での大失敗も毛利輝元個人に責任を帰すよりも家の体質に問題があったのではないかと疑いたくなる。
昨今の新書ブームの中、中公は一貫してこういう硬質な良書を続けてリリースしてくるので特に目が離せない。実は著者の本はすでにもう一冊読んでいたことに気づいた。平凡社の「松永久秀と下剋上」がそれで、新書ほど読みやすくはないが幾つか目からウロコが落ちるような指摘があるのでこちらも強くオススメだったりする。
そういえばここ何年か、徳島県が観光資源化を目指してNHKに三好一族の大河ドラマ化を陳情しているらしい。後半の主役は主家の没落を憂う「忠臣」松永久秀とすると面白いのではなかろうか。
…と、偶には真面目なことも書いてみたくなるのだ。